« まず目標ありきなんでしょうけど、不思議な発表会だったようですねw | トップページ | ファンフェスタ! »

2015/11/23

特別攻撃による戦果についての備忘録

巷では特攻による戦果など無いに等しく、まさに死ににいくだけの犬死作戦であったということが言われているようです。時々放送される戦争番組でも機銃攻撃にさらされた特攻機が撃墜される場面が多く、印象としてはどうしても無駄な攻撃だったという印象しかないんですが、実はこのような突出した戦果をあげていたということですね!
つっこみ

関 卓法さんが新しい写真3枚を追加したで

-- 前略 --

以前、特攻作戦による戦果については投稿したことがありますが、改めて整理してみたいと思います。井上和彦氏の『日本が戦ってくれて感謝しています〜アジアが賞賛する日本とあの戦争』より。

1944年10月、フィリピンを巡る戦いで日本軍は50万人という兵力(大東亜戦争の戦没者の25%に相当)を失い日本軍が敗北。

この戦い以後終戦(1945年8月15日)まで、日本海軍艦艇による敵艦撃沈数は僅か5隻。

一方、同月から10ヶ月間に渡り始まった特攻作戦では、まず戦没者は、海軍で2524人、陸軍で1386人。合計3910人。

戦果はと言うと、撃沈破280隻、米軍の戦死者1万2300人、重傷者3万6000人。

米軍の最も被害の大きかった沖縄戦では、沈没艦艇50隻、空母・戦艦を含む損害艦は300隻以上、損失航空機700機以上、戦死者5000人以上(米軍の戦史記録)。

日本側の戦死者3018人。

戦果として見れば、犬死どころか大戦果を挙げていることが分かります。

米軍では、この作戦によって日本側に手応えや自信を与えないよう、極力被害を少なく見せるよう攻撃を受けた後も現場に留まったりして見せ方にもかなり気を使ったと言います。

米軍内にもその戦果を沖縄戦の中頃まで発表しなかったと。

日本海軍の艦艇による敵艦撃沈数が5隻という時に、280隻も沈めた特攻作戦。戦果を挙げることが大目的であることから考えれば、大成功であったと言えます。

-- 後略 --


これほどの損失でこれほどの成果をあげていたとは知りませんでした。

別の記事では、アメリカ海軍の被害の大部分を特攻によって被っているとか、特攻によってアメリカ兵が精神異常をきたしていたとか、そういう内容も書かれているものがありました。軍人としては軍人としてその攻撃の意味を理解できるはずであり、当時の軍人は特攻を称賛する人が多かったようです。その精神の意味を理解できるだけの素養があったのでしょう。あるいは自分も祖国の為に戦っている、その中で九死に一生ではなく十死に零生の意味を噛みしめて実感するのでしょうね。

特別攻撃隊 - Wikipedia

特別攻撃隊 - Wikipedia

-- 前略 --

総合戦果

特攻の戦果は、航空特攻で撃沈57隻 戦力として完全に失われたもの108隻 船体及び人員に重大な損害を受けたもの83隻 軽微な損傷206隻(元英軍従軍記者オーストラリアの戦史研究家デニス・ウォーナー著『ドキュメント神風下巻』)[154]。 航空特攻で撃沈49隻 損傷362隻 回天特攻で撃沈3隻 損傷6隻 特攻艇で撃沈7隻 損傷19隻 合計撃沈59隻 損傷387隻(イギリスの戦史研究家ROBIN L. RIELLY著『KAMIKAZE ATTACKS of WORLD WAR Ⅱ 』)[155]など諸説ある。 アメリカ軍の特攻損害の公式統計は、「44ヵ月続いた戦争のわずか10ヵ月の間にアメリカ軍全損傷艦船の48.1% 全沈没艦船の21.3%が特攻機(自殺航空機)による成果であった」[156]。「アメリカが(特攻により)被った実際の被害は深刻であり、極めて憂慮すべき事態となった」[157]とアメリカ軍の損害が極めて大きかったと総括している。

自らもイギリス軍の従軍記者として、空母フォーミダブルで取材中に特攻で負傷した経験を持つデニス・ウォーナー氏は「航空特攻作戦は、連合軍の間に誇張する必要もない程の心理的衝撃を与え、またアメリカ太平洋艦隊に膨大な損害を与えた。アメリカ以外の国だったら、このような損害に耐えて、攻勢的な海軍作戦を戦い続ける事はできなかったであろう。」「そして、日本軍の特攻機だけがこのような打撃を敵(アメリカ海軍)に与える事が可能であったことだろう。」と結論付けてる。[158]
連合軍の人的損失

特攻の効果で、連合軍を苦しめたものの一つが、大きな人的損失であった。

連合軍の人的損失については、特攻のみによる死傷者の公式統計は無い為、推計の域は出ないがアメリカ軍の公式記録等を調査したROBIN L. RIELLY著『KAMIKAZE ATTACKS of WORLD WAR Ⅱ 』では特攻によるアメリカ軍の戦死者6,805名負傷者9,923名合計16,728名、[159] Steven J Zaloga著『Kamikaze: Japanese Special Attack Weapons 1944-45』では戦死者7,000名超[160]と集計している。他にイギリス軍、オーストラリア軍、オランダ軍でも数百名の死傷者が出ている。
連合軍全体では、戦死者12,260名 負傷者33,769名に達したという推計もある。[161][162]
アメリカ海軍の太平洋戦域での戦闘における(除事故・病気等の自然要因)死傷者のアメリカ軍公式統計は、特攻が開始された1944年以降に激増し、1944年から1945年8月の終戦までで45,808名に上り、太平洋戦争でのアメリカ海軍の死傷者合計71,685名の63.9%にも達したが(1945年の8か月だけでも26,803名で37.4%)、[163]1944年以降のアメリカ軍艦船の戦闘による撃沈・損傷等は約80%以上が特攻による損失であり[164][165][166]特攻がアメリカ海軍の死傷者を激増させた大きな要因となった事が窺える。 また海軍以外でも、輸送艦などに乗艦していた、陸軍・海兵隊の兵士や輸送艦の船員なども多数死傷している。
1945年1月6日チャーチルの名代としてフィリピン戦観戦中に、戦艦ニューメキシコの艦上で特攻により戦死したイギリス陸軍のハーバード・ラムズデン(英語版)中将。バーナード・モントゴメリー大将の配下でエル・アラメインの戦いの勝利にも貢献した。

特攻による被害艦は、航空燃料で生じた激しい火災による重篤な負傷者が多い事も特徴であった。後送される特攻による負傷者は、包帯を全身に巻かれミイラの様になっており、チューブで辛うじて呼吸し、静脈への点滴でどうにか生き延びているという惨状であった[167]、また、火傷が原因で後日死亡する負傷者も多かった。 [注 23]
沖縄戦で撃沈されたモリソン(駆逐艦)(英語版)の乗組軍医は「(特攻による)負傷者処置には、どのような標準的治療設備もその機能を発揮する事ができなかった。駆逐艦の艦上における負傷者治療についての規定や、入念に作り上げられているアメリカ海軍の要綱は、この異常で野蛮的な戦法に対して何ら用をなさない。衛生科はもはや訓練された隊として活動する事はできなかった。(中略)士官室や作戦室を艦内の最も安全な場所として応急治療室として選ぶのはバカげている、その理由は(特攻から)艦内で安全な場所なんてどこにも存在しないからである。」と特攻に対しては従来の負傷者処置ができなかったと述べている。[168]

その為、アメリカ海軍は水兵に対して「対空戦闘に必要最低限の人数以外は退避させる」「一か所に大人数で集まることを禁止」「全兵員が長袖の軍服を着用し袖や襟のボタンをしっかりとめる、顔など露出部には火傷防止クリームを塗布する」「全兵員のヘルメット着用義務化」「対空戦闘要員以外はうつ伏せになる」など事細かに特攻による兵員の死傷の防止策を指導していた。[169]。

特攻による死傷者の中には高級将官も多く含まれていた。第二次世界大戦でのイギリス陸軍且つ特攻で戦死した最高位の軍人となるハーバード・ラムズデン(英語版)中将や、アメリカ海軍最高位の戦死者セオドア・チャンドラー(英語版)少将らである。(同じアメリカ海軍少将の戦死者としては真珠湾攻撃でのアイザック・C・キッド少将、第三次ソロモン海戦でのダニエル・J・キャラハン少将とノーマン・スコット少将の3名がいる)ラムズデン中将が戦死した戦艦ニューメキシコの艦橋には、イギリス海軍太平洋艦隊(東洋艦隊 (イギリス)から改編)司令のブルース・フレーザー大将も同乗していたが、少し席をはずした際に、特攻機が命中した為難を逃れている。(但し副官が戦死)東洋艦隊 (イギリス)はマレー沖海戦で前任者である司令のトーマス・フィリップス提督が戦死しており、2代に渡って大英帝国海軍の艦隊司令が太平洋戦域で戦死するところであった。

また沖縄戦で旗艦の空母バンカー・ヒルで艦載機の発艦準備を視察していた第58任務部隊司令マーク・ミッチャー中将のわずか6mの至近に特攻機が突入した。奇跡的にミッチャー自身は無傷であったが幕僚13名が戦死し、また司令官個室も破壊され機密文書からミッチャー個人の私物まですべて焼失してしまった。その後旗艦を空母エンタープライズとしたが、同艦も特攻攻撃を受け大破し、空母ランドルフに再び旗艦を変更せざるを得なくなった。[170]ミッチャーはこの後も特攻対策で心労が重なり、体重は45㎏と女性並みまで落ち込み、舷側の梯子を単独では登れない程まで心身ともに追い込まれ、上官のスプルーアンスと同じように、沖縄戦途中に異例の艦隊指揮交代となっている。[171]

アメリカでは特別攻撃隊の報道はアメリカ軍兵士の戦意喪失を招き、銃後の家族に不安を与えるとして規制され、後に一括して報道された。神風特攻隊を受けたアメリカ軍はパニックで神風ノイローゼに陥るものもいた。空母ワスプの乗組員123名に健康検査を行ったところ戦闘を行える健常者が30%で、他は全部精神的な過労で休養が必要と診察された[172]。本来アメリカ海軍は、艦内での飲酒を固く禁じていたが、カミカゼの脅威に対峙する兵士の窮状を診かねた軍医から第7水陸両用部隊司令ダニエル・バーベイ(英語版)少将へ、兵士らのカミカゼへの恐怖を振り払わせる為に艦内での飲酒解禁の提案があり、兵士らは貯蔵してあったバーボン・ウィスキーを士気高揚剤として支給されている。酔った勢いの空元気は、カミカゼに対抗する為に利用された一つの武器となった。[173]
主力艦に対する戦果

 (#特攻攻撃により損害を受けた連合軍の艦船一覧表)

特攻機が撃沈したとされるアメリカ海軍の護衛空母は3隻であるが、セント・ローはフィリピン上陸作戦、オマニー・ベイはフィリピン攻防戦、ビスマーク・シーは硫黄島上陸作戦において撃沈されている。空母は特攻作戦の全期間を通じて最重要目標とされたが、その理由は日本軍守備隊への最大の脅威が航空攻撃であったためであり、護衛空母は攻略目標近傍においてCAP(戦闘空中哨戒)を形成し、アメリカ軍の地上部隊の援護を行うため特攻機の目標とされた。碇泊中のアメリカ軍機動部隊への奇襲も計画され、3月11日、第五航空艦隊の「銀河」24機(7機故障脱落)・二式飛行艇3機(誘導)の梓隊がウルシー泊地の空母ランドルフを中破させた。

しかし、特攻機が撃沈できた正規空母や戦艦などの主力艦は1隻もないとの指摘もあり、その事が特攻の成果に対する低評価に繋がっている。[174] [175]

特攻により、巡洋艦以上の主力艦が沈まなかった事には、以下の要因が挙げられる。

大戦後半期のアメリカ海軍艦艇は、特攻に限らず小型艦に至るまで撃沈が困難になっていた。太平洋戦域で1944年以降終戦までに特攻以外の航空通常攻撃で撃沈したアメリカ軍水上艦(除潜水艦)は、特攻より攻撃機数が多かったにも関わらず(詳細は#有効率の1945年2月14日から菊水10号作戦(6月22日)までの、日本海軍航空隊の出撃機数を参照)下記の通りわずか8隻に過ぎない。また、通常航空攻撃も含めた特攻以外の戦闘(除天候要因・事故)で失った水上艦は軽空母1、重巡1、護衛空母1、駆逐艦8、戦車揚陸艦1、輸送艦4、その他小型艦艇8 合計24隻で、特に大戦末期の沖縄戦で特攻以外で沈んだ水上艦は、駆逐艦ロングショウ(陸上砲撃) 艦隊掃海艦スカイラーク(機雷)艦隊用曵船アリカラ(陸上砲撃)200tタンカー(陸上砲撃)の4隻に過ぎないが、特攻の沖縄戦での戦果は、駆逐艦(各用途の駆逐艦の合計)17隻、戦車揚陸艦1、中型揚陸艦5隻、輸送艦3隻、その他艦艇6隻、合計32隻(含水中・水上特攻)と特攻の戦果が圧倒的に上回っている。日米の戦力が拮抗し、日本軍が多くの水上艦を沈めた大戦序盤~大戦中期のアメリカ艦隊と、質量ともに戦力が圧倒的に充実し、日本軍が攻撃どころか接近すら困難になった大戦後期~末期のアメリカ艦隊は全く別物になっており、むしろ、日本軍にとって大戦後半~末期は、特攻がアメリカ水上艦を撃沈できる最有力の手段であったと言える。

アメリカ海軍の正規空母の飛行甲板の装甲防御や、艦内のレイアウト等ダメージコントロールのノウハウが日本軍との戦闘を通じて飛躍的に向上していた。特に艦に致命的な打撃を与える火災への対応については、現役の消防士を教官とした消防学校が各海軍基地に設立され、ダメージコントロール要員は繰り返し訓練された。水を霧状に細分化できる消防ホースや、泡沫による消火システムや、艦内が停電しても使用できるガソリン駆動の移動式ポンプや、ダメージコントロール要員が着用する耐火服などの防火装備一式など、現代並みの消火設備を各艦に装備させた。 [176]

大戦後半は、アメリカ海軍が制空権・制海権を握っていたため、甚大な損傷を被っても曳航退避が可能だった。例えば南太平洋海戦で沈んだホーネットは、アメリカ軍が絶対的な制空・制海権を把握していなかった為、日本軍機の反復攻撃と水上艦艇の追撃により、曳航を断念して放棄された。

特攻は攻撃の性質上、艦艇の上部構造物は破壊できるが、喫水線以下に大きなダメージを与えることが困難であり、中型以上の艦艇を沈没まで至らせるほどの効果があるのか当初から懸念されていた。また、特攻機は零戦などの小型機が主力であり、搭載爆弾は250㎏~500㎏爆弾となるが、主力艦は250㎏~500㎏爆弾1~2発程度の命中では、積載弾薬や燃料の連鎖的な誘爆でもない限りは簡単に沈むものではなかった。但し、以上の問題は特攻のみの固有の問題でなく、航空機による艦船攻撃全体についても同じ事が言えた。[注 24]下記の様に航空攻撃で沈没した主力艦は例外なく、喫水線以下に大ダメージを与える魚雷が多く命中したか、大量の爆弾の直撃を浴びたか、弾薬・搭載爆弾や魚雷・航空燃料が誘爆して沈没に至ってる。また誘爆で沈没に至った艦船の多くが、最終的に自軍・敵軍の水上艦により処分されている。
真珠湾攻撃で沈んだ戦艦オクラホマには8本の魚雷が命中し転覆、横転中にもう1本命中。[178]戦艦アリゾナは積載していた火薬が誘爆して爆沈した。その際に水平爆撃機が投下した800㎏爆弾が装甲を貫通し、弾薬庫が誘爆したという説と、爆弾は貫通しなかったが、弾薬庫の外に火薬が保管してあり誘爆した説があるが、結論は出ていない。[179]
マレー沖海戦で沈んだ戦艦プリンス・オブ・ウェールズには日本軍主張7本[180]イギリス側記録6本[181][182]巡洋戦艦レパルスには日本側主張13本[183]イギリス側記録5本[184]の魚雷が命中。
セイロン沖海戦で沈んだ軽空母ハーミーズは37発もの大量の250㎏爆弾の直撃を受けている。また重巡洋艦コーンウォールとドーセットシャーには2隻で合計46発もの大量の250kg爆弾が命中している。
珊瑚海海戦で沈んだ空母レキシントンは日本軍航空機より爆弾2発魚雷2本の命中弾を受けるが致命的損傷でなく、ダメージコントロールの結果火災は鎮火、一時は7°に達した傾斜も水平に戻り、速度も回復し航空機の離発着も可能となり通常作戦に復帰出来るようになったが、攻撃の衝撃でタンクが緩み航空燃料漏れが起こっており、それが気化して大量に蓄積していた。攻撃を受けた90分後に、気化燃料に発電機の火花が散って引火し大爆発、この爆発で発電設備も壊れ消火活動が難しくなり、2度目の誘爆を防ぐことができず、総員退艦命令となった。それでも沈まず駆逐艦の魚雷により処分されている。[185]
南太平洋海戦で沈んだ空母ホーネットは日本軍航空機により、800キロを含む爆弾5発・魚雷3本及び体当たり攻撃2機を受けるも沈まず、更に自沈させようとしたアメリカ軍の魚雷6本、5インチ砲無数を撃ちこまれるも沈まず、放棄された後に追撃してきた日本軍駆逐艦による酸素魚雷3本12.7cm砲24発によりようやく沈没。
レンネル島沖海戦で沈んだ重巡洋艦シカゴには6本の魚雷が命中。[186]
レイテ沖海戦で沈んだ軽空母プリンストンには艦上爆撃機「彗星」の急降下爆撃で500kg爆弾1発命中、第2甲板上の乗組員のギャレーで爆発。損傷自体は軽微であったが、爆発の衝撃で航空燃料の供給パイプを切断され燃料火災が起こったのに対し、プリンストンのスプリンクラーが損傷により作動せず、消火が難航した。軽巡バーミンガム、軽巡リノが消火の支援をした結果、ほぼ火は鎮火したように見えたが、爆撃を受けた5時間後に残った火が弾薬庫に達し、爆弾と魚雷が誘爆し大破炎上、接舷して消火活動を支援していたバーミンガムが巻き込まれて大破するほどの大爆発であった。夜になっても火災が収まらない為、日本軍の夜間攻撃の目印になる事を懸念した第58任務部隊司令ミッチャー中将の命令で駆逐艦により処分。[187]

撃沈に至らなくても、正規空母等の主力艦が特攻により甚大な損傷を受け、修理の為に長期間に渡って戦線離脱する事がアメリカ軍にとって作戦上の大きな痛手となっていた。 海軍反省会においても、元海軍将校の視点より同様な指摘があっている。 [188]

例えば、アメリカ海軍の主戦力であった主力機動部隊第58任務部隊の所属正規空母・軽空母は殆どの艦が特攻攻撃を受けて損傷し戦線離脱に追い込まれた事がある。

※所属は沖縄戦開始時、但し離脱艦は損傷を受けた時点での所属。

【第58任務部隊第1群】[TG58.1]
ホーネット なし
ベニントン なし
ワスプ 1945年3月19日九州沖航空戦で大破 戦死者101名 負傷者269名 [189] [190][191][192] 急降下爆撃によるものという説もあり。
ベローウッド 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者92名 負傷者56名
サン・ジャシント 1945年4月6日沖縄戦で損傷 戦死者1名 負傷者5名
【第58任務部隊第2群】[TG58.2]
レキシントン 1944年11月5日フィリピン戦で大破 戦死者50名 負傷132名(沖縄戦開始時は本土で修理中)
エンタープライズ 1945年4月11日及び5月14日、沖縄戦で損傷と大破、合計戦死者18名 負傷者86名
ランドルフ 1945年3月11日ウルシー環礁で中破 戦死25名 負傷者106名
フランクリン 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者56名 負傷者14名(沖縄開始時では1945年3月19日、陸上爆撃機「銀河」の緩降下爆撃で大破、戦死者739名 負傷者264名を出し本土曳航中)
【第58任務部隊第3群】[TG58.3]
タイコンデロガ 1945年1月21日台湾沖で大破 戦死者144名 負傷203名(沖縄戦開始時では本土で修理中)
エセックス 1944年11月25日フィリピン戦で中破 戦死者15名 負傷者44名
ハンコック 1945年4月7日沖縄戦で大破、戦死者62名 負傷者71名
バンカーヒル 1945年5月11日沖縄戦で大破、戦死者402名 負傷者264名
カボット 1944年11月25日フィリピン戦で損傷、戦死者36名 負傷者16名
バターン 1945年4月18日沖縄戦で損傷、戦死者9名 負傷者50名
【第58任務部隊第4群】[TG58.4]
ヨークタウン なし
イントレピッド フィリピン戦1944年10月30日損傷、1945年11月25日大破、九州沖航空戦1945年3月18日損傷、沖縄戦1945年4月16日大破、戦死者合計97名 負傷者236名
ラングレー 1945年1月21日台湾沖で損傷
インディペンデンス  なし
【第58任務部隊第5群】[TG58.5]※硫黄島戦時に編成
サラトガ 1945年2月21日硫黄島戦で大破、戦死者123名、負傷者192名(沖縄戦開始時は本土で修理中)

以上の通り第58任務部隊の20隻の正規空母・軽空母の内、特攻で損害を受けた事のない艦はたった4隻である。

特に以下の艦は甚大な損傷を負っている。

空母サラトガ

1945年2月21日に香取基地を飛び立った海軍第二御楯特別攻撃隊より硫黄島沖にて集中攻撃を受けた。4機の特攻機の体当たりと、撃墜された2機の特攻機の爆弾がサラトガの喫水線と舷側に跳弾して命中、最後に特攻機が投下した800kg爆弾が命中し、合わせて2発の爆弾が命中した。搭載されていた艦載機が次々と誘爆すると共に、艦内の航空燃料にも引火して大破炎上したが辛うじて沈没は逃れた。サラトガは本土にて大修理の後に1945年6月3日に真珠湾へ戻り練習空母として復帰したが、戦後に日本軍の戦艦長門などと原爆実験艦として処分された。
富安中尉搭乗の零戦の特攻でエンタープライズの前部リフトは120mもの上空に吹き上げられた。

空母エンタープライズ

1945年5月14日に富安俊助中尉搭乗の零戦がほぼ垂直に前部エレベーターに突入、エレベーターを吹き飛ばした特攻機は、そのまま5層の甲板を貫通して爆弾は艦の奥深くで爆発した。エンタープライズにとって幸運だったのが、爆弾が爆発した場所に弾薬や燃料がなく誘爆しなかったことだが、船体に破孔ができ大量に浸水し船首が一時3m沈下した。[193]その後、ピュージェット・サウンド海軍工廠に帰還、修理後に海軍工廠の埠頭に停泊中に終戦を迎えた。太平洋戦争をほぼ全期間戦い抜き「ビッグE」という称号で呼ばれたり、日本側より6回も沈没と報じられた為「オアフ島の岸壁を走る幽霊」というあだ名が付けられたエンタープライズをようやく長期間離脱に追いやり、[194]米海軍関係者から、エンタープライズに特攻した富安中尉に対して「これまで日本海軍が3年かかってもできなかったことを、たった一人で一瞬の間にやってのけた。」と称賛の言葉が送られている。[195]エンタープライズはその後、復員船として運用された後に除籍された。

空母バンカー・ヒル

1945年5月11日に小川清少尉と安則盛三中尉搭乗の零戦2機が、それぞれ搭載していた500㎏爆弾を投下後に突入。甲板上の艦載機が次々と誘爆、また給油作業中の航空燃料ホースにも引火し、大火災となり船体に深刻な損傷を受けて戦線離脱を余儀なくされた。バンカー・ヒルはピュージェット・サウンド海軍工廠で修理を受けた艦船の中では最悪の損傷レベルであり[196]、修理後に復員船として運用された後は空母としての運用をされることはなかった。他のエセックス級空母が近代化改装を受け後年まで活躍する中、通常爆撃で大破した同型艦のフランクリンと共に近代化改装されることもなく、埠頭に係留されたまま電子実験のプラットフォームなどに利用された後に解体された。[197]

-- 後略 --


「44ヵ月続いた戦争のわずか10ヵ月の間にアメリカ軍全損傷艦船の48.1% 全沈没艦船の21.3%が特攻機(自殺航空機)による成果であった」

これに尽きますね。

命をなげうって祖国の為に散華された英霊の皆さんを「犬死」などと侮辱するSEALsのような輩は日本から去れ!と思います。たとえ戦果がなかったとしても、その尊さは変わりません。そういうことです。

戦争賛美とかそういうことではなく、一朝ことが起これば祖国を守るために全員が何かに命がけで対処する。そういう気概を常日頃持っているか、ということではないでしょうか?
 


↓お前はどうなんだ? と思う人は、ポチっとお願いします m(_ _)m

|

« まず目標ありきなんでしょうけど、不思議な発表会だったようですねw | トップページ | ファンフェスタ! »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

拝読致しました、特攻の英霊に深謝致します。
またニューギニア、インパールはじめ太平洋の島々に眠る日本兵諸霊の安らかん事を祈ります。
日本史に、いや世界史に残る善戦健闘と思います。
貴下の詳細なる記事に感謝致します。

投稿: 通行人 | 2017/03/19 14:05

こんばんわ^^

>通行人さん
ありがとうございます。
私は紹介しているだけですので!

それにしても米兵を精神的に追い詰めるまでの特別攻撃・・・。
日本を残してくれたことに感謝しかありませんね。

投稿: ピア | 2017/03/23 22:39

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/71882/62731719

この記事へのトラックバック一覧です: 特別攻撃による戦果についての備忘録:

« まず目標ありきなんでしょうけど、不思議な発表会だったようですねw | トップページ | ファンフェスタ! »