« この韓国人Jリーガーは、常に心神喪失状態でプレーしているようですね | トップページ | 【開幕12戦目】貧打は続くよ、どこまでも? マジで??? »

2015/04/08

通州事件がそろそろ世界の常識になりつつありますね♪

ここまでくれば、もう民族性としか表現できないように思いますが…?
中国の日本人虐殺「通州事件」 鼻に針金通し青竜刀で体抉る│NEWSポストセブン

中国の日本人虐殺「通州事件」 鼻に針金通し青竜刀で体抉る│NEWSポストセブン

2015.04.07 16:00

mixiチェック

■ ANA北海道ツアーがこの価格! www.ana.co.jp
飛行機+ホテルがセットで驚きの安さ今すぐ最安値をチェック⇒詳しくは

Ads by Yahoo! JAPAN

 戦後70年、中国は自らが犯した戦争犯罪をひた隠しにしてきた。その一つが、多数の在留邦人が虐殺された「通州事件」だ。残されたわずかな記録からその封印を解く。

 その凄惨な事件は、日中が本格的な軍事衝突を始めた盧溝橋事件(*注1)直後の1937年7月29日、北平(現在の北京)近郊の通州で発生した。

【*注1/1937年7月7日、日本軍と中国の国民党軍の間で起きた武力衝突事件。中国共産党軍が事件を誘発させたとの説が有力となっている】

 当時、満州国と隣接する中国・河北省には、蒋介石の国民党政府から独立し日本人が実質統治していた「冀東(きとう)防共自治政府」が置かれていた。自治政府は九州と同程度の面積で、人口はおよそ700万人。「首都」である通州には400人近い日本人が暮らしていた。自治政府の首班は、日本への留学経験もあり、日本人の妻を持つ親日派の殷汝耕(いんじょこう)。通州には邦人保護を目的とする日本軍守備隊も駐留しており、比較的、治安は良好だった。

 ところが、突如として自治政府の中国人保安隊約3000名が武装蜂起し、首班の殷汝耕を拉致した上で日本軍守備隊と日本人居留民を奇襲したのである。事件当時、通州に滞在していた米国人ジャーナリスト、フレデリック.V.ウィリアムズ氏は、惨劇の様子を自著『Behind the news in China』(1938年)で克明に綴っている。

「それは一九三七年七月二十九日の明け方から始まった。そして一日中続いた。日本人の男、女、子供は野獣のような中国兵によって追いつめられていった。家から連れ出され、女子供はこの兵隊ギャングどもに襲い掛かられた。

 それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別も付かなかった(中略)何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。中国兵が強姦し、拷問をかけていたのだ」(訳書『中国の戦争宣伝の内幕』芙蓉書房出版刊・田中秀雄訳)

 事件の当日、日本軍守備隊の主力は南苑での作戦(*注2)に投入されており、通州に残る守備隊はわずか100名に過ぎなかった。守備隊は30名の兵を失いながらも必死の反撃を続けたが、翌日、日本軍の応援部隊が現地入りするまでに、223名(防衛庁編纂『戦史叢書・支那事変陸軍作戦1』より。260名~300名とする説もある)の邦人が虐殺された。

【*注2/日中戦争初期の戦闘「平津作戦」のひとつ】

 事件の首謀者は、自治政府保安隊幹部で反日派の張慶餘(ちょうけいよ)と張硯田(ちょうけんでん)だった。両者は直前に起きた「盧溝橋事件」で日本軍と武力衝突を起こした国民党軍第29軍と予てから密通し、武装蜂起の機会を窺っていた。背後で糸を引いていたのは中国共産党だ。

 当時、蒋介石率いる国民党は中国共産党との「抗日共闘路線」に舵を切っており、第29軍の主要ポストにも複数の共産党員が充てられていた。

 日本と国民党政府の全面対決を画策する共産党は、冀東防共自治政府とその保安隊にも「抗日分子」を浸透させ、日本人襲撃計画を立てていた。 通州の惨劇は、中国共産党の謀略による“計画的テロ”だった可能性が高い。

 当時の新聞各紙は「比類なき鬼畜行動」(1937年8月4日・東京日日新聞)、「鬼畜 暴虐の限り」(1937年8月4日・読売新聞)といった見出しで冀東保安隊による殺戮の一部始終を報じ、事件直後に現地入りした読売新聞社の松井特派員は、惨状をこう伝えていた。

「崩れおちた仁丹の広告塔の下に二、三歳の子供の右手が飴玉を握ったまま落ちている。ハッとして眼をそむければ、そこには母らしい婦人の全裸の惨殺死体が横たわっているではないか!(中略)池畔にあげられた死体のなかには鼻に針金を通されているものがある(中略)男の鼻には鈎の様に曲げられた十一番線の針金が通され無念の形相をして死んでいる(後略)」(1937年8月4日・読売新聞夕刊)

 事件後の現場には、青龍刀で身体を抉られた子供や、首に縄をつけて引き回された形跡のある男性の死体もあった。この事件後、日本国内の対中感情が急速に悪化し、日中戦争の泥沼に向かっていった。

※SAPIO2015年5月号


上記引用記事では、虐殺の様子はほぼ100倍位に希釈されている表現にとどまっていますが、その通州事件を目撃した日本人女性の手記がありますので、ご紹介します。

いつもお邪魔する「ねずさんのひとりごと」です。

ねずさんの ひとりごと 通州事件 その1 『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』4月21日新発売!

ねずさんの ひとりごと 通州事件 その2「Sさんの体験談」 『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』4月21日新発売!

この後者のリンク記事に、女性が目撃した通州事件の出来事が書かれています。非常に凄惨で残酷で人間の所業とは思えない、地獄の責めもここまでとは思えないくらいの内容です。未成年や女性、あるいはそういうものに弱い人が読むことはお薦めしません。それほどの内容です。私など、何度読んでも読み進むにつれ、頭が真っ白になって血が上るのを覚えるくらいです。

少し長いのですが引用してみます。以下は読むのは十分注意してください。


そこに保安隊でない国民政府軍の兵隊も何名かいました。
それがみんなで集まっているのは女の人を一人連れ出して来ているのです。

何とその女の人はお腹が大きいのです。
七ヶ月か八ヶ月と思われる大きなお腹をしているのです。

学生と保安隊の兵隊、それに国民政府軍の正規の兵隊達が何かガヤガヤと言っていましたが、家の入り口のすぐ側のところに女の人を連れて行きました。

この女の人は何もしゃべれないのです。
恐らく恐怖のために口がきけなくなっていることだろうと思うのですが、その恐怖のために恐れおののいている女の人を見ると、女の私ですら綺麗だなあと思いました。

ところが一人の学生がこの女の人の着ているものを剥ぎ取ろうとしたら、この女の人が頑強に抵抗するのです。
歯をしっかり食いしばっていやいやを続けているのです。

学生が二つか三つかこの女の人の頬を殴りつけたのですが、この女の人は頑強に抵抗を続けていました。
そしてときどき「ヒーッ」と泣き声を出すのです。

兵隊と学生達は又集まって話し合いをしております。
妊娠をしている女の人にあんまり乱暴なことはするなという気運が、ここに集まっている支那人達の間にも拡がっておりました。

とそのときです。
一人の日本人の男の人が木剣を持ってこの場に飛び込んで来ました。

そして「俺の家内と子供に何をするのだ。やめろ」と大声で叫んだのです。

これで事態が一変しました。
若しこの日本の男の人が飛び込んで来なかったら、或いはこの妊婦の命は助かったかも知れませんが、この男の人の出現ですっかり険悪な空気になりました。

学生の一人が何も言わずにこの日本の男の人に青竜刀で斬りつけました。

するとこの日本の男の人はひらりとその青竜刀をかわしたのです。
そして持っていた木刀でこの学生の肩を烈しく打ちました。

学生は「ウーン」と言ってその場に倒れました。
すると今度はそこにいた支那国民政府軍の兵隊と保安隊の兵隊が、鉄砲の先に剣を付けてこの日本の男の人に突きかかって来ました。

私は見ながら日本人頑張れ、日本人頑張れと心の中に叫んでいました。
しかしそんなことは口には絶対に言えないのです。

七名も八名もの支那の兵隊達がこの男の人にジリジリと詰め寄って来ましたが、この日本の男の人は少しも怯みません。

ピシリと木刀を青眼に構えて一歩も動こうとしないのです。
私は立派だなあ、さすがに日本人だなあと思わずにはおられなかったのです。

ところが後ろに回っていた国民政府軍の兵隊が、この日本の男の人の背に向かって銃剣でサッと突いてかかりました。

するとどうでしょう。
この日本の男の人はこれもひらりとかわしてこの兵隊の肩口を木刀で烈しく打ったのです。
この兵隊も銃を落としてうずくまりました。

でもこの日本の男の人の働きもここまででした。
この国民政府軍の兵隊を烈しく日本の男の人が打ち据えたとき、よこにおった保安隊の兵隊がこの日本の男の人の腰のところに銃剣でグサリと突き刺したのです。

日本の男の人が倒れると、残っていた兵隊や学生達が集まりまして、この男の人を殴る蹴るの大乱暴を始めたのです。
日本の男の人はウーンと一度唸ったきりあとは声がありません。

これは声が出なかったのではなく出せなかったのでしょう。
日本の男の人はぐったりなって横たわりました。

それでも支那の兵隊や学生達は乱暴を続けております。
そしてあの見るも痛ましい残虐行為が始まったのです。

それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。
私はあんな残酷な光景は見たことはありません。
これはもう人間の行為ではありません。
悪魔の行為です。
悪魔でもこんなにまで無惨なことはしないと思うのです。

頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。
このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。

目玉を抉り取ると、今度は男の人の服を全部剥ぎ取りお腹が上になるように倒しました。
そして又学生が青竜刀でこの日本の男の人のお腹を切り裂いたのです。

縦と横とにお腹を切り裂くと、そのお腹の中から腸を引き出したのです。
ずるずると腸が出てまいりますと、その腸をどんどん引っ張るのです。

人間の腸があんなに長いものとは知りませんでした。
十メートル近くあったかと思いますが、学生が何か喚いておりましたが、もう私の耳には入りません。

私はTさんにすがりついたままです。
何か別の世界に引きずり込まれたような感じでした。

地獄があるとするならこんなところが地獄だろうなあとしきりに頭のどこかで考えていました。

そうしているうちに何かワーッという声が聞こえました。ハッと目をあげてみると、青竜刀を持った学生がその日本の男の人の腸を切ったのです。

そしてそれだけではありません。
別の学生に引っ張らせた腸をいくつにもいくつにも切るのです。

一尺づつぐらい切り刻んだ学生は細切れの腸を、さっきからじっと見ていた妊婦のところに投げたのです。
このお腹に赤ちゃんがいるであろう妊婦は、その自分の主人の腸の一切れが頬にあたると「ヒーッ」と言って気を失ったのです。

その姿を見て兵隊や学生達は手を叩いて喜んでいます。
残った腸の細切れを見物していた支那人の方へ二つか三つ投げて来ました。
そしてこれはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろと申しているのです。

しかし見ていた支那人の中でこの細切れの腸を拾おうとするものは一人もおりませんでした。

この兵隊や学生達はもう人間ではないのです。
野獣か悪魔か狂竜でしかないのです。

そんな人間でない連中のやることに、流石に支那人達は同調することは出来ませんでした。
まだ見物している支那人達は人間を忘れてはいなかったのです。

そして細切れの腸をあちらこちらに投げ散らした兵隊や学生達は、今度は気を失って倒れている妊婦の方に集まって行きました。

この妊婦の方はすでにお産が始まっていたようであります。
出血も始まったのしょう。兵隊達も学生達もこんな状況に出会ったのは初めてであったでしょうが、さっきの興奮がまだ静まっていない兵隊や学生達はこの妊婦の側に集まって、何やらガヤガヤワイワイと申しておったようですが、どうやらこの妊婦の人の下着を取ってしまったようです。

そしてまさに生まれようと準備をしている赤ん坊を引き出そうとしているらしいのです。
学生や兵隊達が集まってガヤガヤ騒いでいるのではっきりした状況はわかりませんが、赤ん坊を引き出すのに何か針金のようなものを探しているようです。

とそのときこの妊婦の人が気がついたのでしょう。
フラフラと立ち上がりました。

そして一生懸命逃げようとしたのです。
見ていた支那人達も早く逃げなさいという思いは持っているけれど、それを口に出すものはなく、又助ける人もありません。さっきのこの妊婦の主人のように殺されてしまうことが怖いからです。

このフラフラと立ち上がった妊婦を見た学生の一人がこの妊婦を突き飛ばしました。
妊婦はバッタリ倒れたのです。

すると兵隊が駆け寄って来て、この妊婦の人を仰向けにしました。
するともうさっき下着は取られているので女性としては一番恥ずかしい姿なんです。

しかも妊娠七ヶ月か八ヶ月と思われるそのお腹は相当に大きいのです。
国民政府軍の兵隊と見える兵隊がつかつかとこの妊婦の側に寄って来ました。

私は何をするのだろうかと思いました。
そして一生懸命、同じ人間なんだからこれ以上の悪いことはしてくれないようにと心の中で祈り続けました。

だが支那人の兵隊にはそんな人間としての心の欠片もなかったのです。
剣を抜いたかと思うと、この妊婦のお腹をさっと切ったのです。

赤い血がパーッと飛び散りました。
私は私の目の中にこの血が飛び込んで来たように思って、思わず目を閉じました。それ程この血潮の飛び散りは凄かったのです。

実際には数十メートルも離れておったから、血が飛んで来て目に入るということはあり得ないのですが、あのお腹を切り裂いたときの血潮の飛び散りはもの凄いものでした。

妊婦の人がギャーという最期の一声もこれ以上ない悲惨な叫び声でしたが、あんなことがよく出来るなあと思わずにはおられません。

お腹を切った兵隊は手をお腹の中に突き込んでおりましたが、赤ん坊を探しあてることが出来なかったからでしょうか、もう一度今度は陰部の方から切り上げています。

そしてとうとう赤ん坊を掴み出しました。その兵隊はニヤリと笑っているのです。
片手で赤ん坊を掴み出した兵隊が、保安隊の兵隊と学生達のいる方へその赤ん坊をまるでボールを投げるように投げたのです。

ところが保安隊の兵隊も学生達もその赤ん坊を受け取るものがおりません。
赤ん坊は大地に叩きつけられることになったのです。何かグシャという音が聞こえたように思いますが、叩きつけられた赤ん坊のあたりにいた兵隊や学生達が何かガヤガヤワイワイと申していましたが、どうもこの赤ん坊は兵隊や学生達が靴で踏み潰してしまったようであります。

あまりの無惨さに集まっていた支那人達も呆れるようにこの光景を見守っておりましたが、兵隊と学生が立ち去ると、一人の支那人が新聞紙を持って来て、その新聞紙でこの妊婦の顔と抉り取られたお腹の上をそっと覆ってくれましたことは、たった一つの救いであったように思われます。

どうですか?
人間とは思えませんね?

逆に、戦後旧日本軍が支那などで虐殺したんだと言われているやり方にそっくりではないですか?はだしのゲンの内容ともほぼ似ていますよね。

そういうことです。
こうまでされても、当時の日本国政府は支那との融和を第一に交渉しています。だからこそ、支那にとことんなめられてしまうのです。自国民が一人でも殺されれば、殺した犯人やその勢力、組織、団体を根絶やしにするくらいの意気込みで対応する、要は欧米のように対応していないからこそ、支那事変というものに巻き込まれていってしまうわけです。

もっと言えば、そういうことをされないくらいの威力を持つ。そこも大事ですね。歴史に学ばねばなりません。
 


↓韓国軍のベトナムでの虐殺も同じようなものなんだろうな… と思う人は、ポチっとお願いします m(_ _)m

|

« この韓国人Jリーガーは、常に心神喪失状態でプレーしているようですね | トップページ | 【開幕12戦目】貧打は続くよ、どこまでも? マジで??? »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

極東愚連隊」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 通州事件がそろそろ世界の常識になりつつありますね♪:

« この韓国人Jリーガーは、常に心神喪失状態でプレーしているようですね | トップページ | 【開幕12戦目】貧打は続くよ、どこまでも? マジで??? »