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2015/04/02

蒋介石が「南京事件はなかった」と日本人に明言した歴史的事実があるらしい

これは拡散せねばなるまい
蒋介石が「南京には大虐殺などありはしない。」と証言していた。|ろっちたくやのブログ

蒋介石が「南京には大虐殺などありはしない。」と証言していた。|ろっちたくやのブログ

-- 前略 --

ダーディンのインタビュー。

 ダーディンは上海から南京まで、追撃される側の中国軍に従軍していました。
 そのダーディンは、1989年10月号の「文芸春秋」で古森義久氏とのインタビューで、上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたのかという質問に対して、
「いや、それはありませんでした。」
と断言し、
「中国軍は日本軍に正面から戦いを挑まず、撤退していたし、地元の住民もみな避難していたからでしょう。
 私は当時、虐殺に類することは何も目撃しなかったし、聞いたこともありません」
と答えている。



「南京事件を世界に知らせた男」 産経の古森義久記者

 ティルマン・ダーディンというこユーヨークタイムズの通信員にインタビユーした内容を紹介していました。
 古森氏からそのやりとりのフルテキストを見せてもらったことがあるけど、ダーディンは南京陥落時現地にいたのですが、
 「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかった」
 「民間人をやたらに殺すということはなかった。
 捕虜もまとめて殺すようなことはなかった」
 「南京の市民や周辺の住民は中国軍にすべてを焼き払われ、戦闘が長くつづき、日本軍が南京を制圧したときには一種の安堵感を覚えていた入も多かったのです。
 日本軍の占領を、あきらめからにせよ、歓迎しようとする市民たちもいたのです。
 それまでの二、三十年間も中国の軍閥に支配され、搾取され、軍閥同士の戦いで被害を受け、という状態で、別に支配者が日本軍になってもそう変わりはしない。
 日本軍でさえ、またやがては去っていく。
 戦闘を終了させたことだけでも日本軍を歓迎してもよいではないか──そんな受けとめ方が多かったのです」
とも述べていました。
 しかし、戦闘以外で軍人の捕虜が二万人、民間人は数千人殺されたとも証言しているのですが、三十万ということはとてもありえないでしょう。
(「文藝春秋」八九年十月号)
Nay’s Diary - ダーディンのインタビュー。
http://d.hatena.ne.jp/nay/20051022



蒋介石と何応欽

 最後に私は、蒋介石総統の前に進み出て、御礼の挨拶をした後「私は総統閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げました。」

 すると「いつ?どこで?・・・・」とたずねられた。

 「昭和11(1936)年2月に、松井石根閣下と2人で、南京でお目にかかりました」

 その時「松井石根」という名を耳にされた瞬間、蒋介石の顔色がさっと変わりました。

 目を真っ赤にし、涙ぐんで「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました」手が震え、涙で目を潤ませて、こう言われるのです。
 「南京には大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録しているはずです。私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない。・・・・松井閣下は冤罪で処刑されたのです・・・・」といいながら涙しつつ私の手を2度3度握り締めるのです。

興亜観音第15号(平成14年4月18日号)



 蒋介石総統はすでに80歳、口辺に笑みを浮かべ、好々爺(こうこうや)といった感じだ。
 何応欽将軍はじめ多くの要人も同席した。
 〈写真は禁止とのこと〉総統は一段と高い所に坐をしめ、まず岸先生の近況と皆さんの台湾視察の感想はどうでしたか、と質問された。
 中山団長が詳細に報告し、この度の旅行に際しての行き届いたご配慮とご接待に対して深く感謝する旨を述べた。

 暫く懇談ののち、団員ひとりひとりが蒋総統の前に進み出て、謝辞を述べ、総統から握手を賜ることになった。

 私は総統に敬礼してから、「私はかつて閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げた。

 「いつか。」と聞かれるので「36年(昭和11)の3月、松井石根閣下にお伴して、南京で・・・・」と申し上げた。

 松井大将の名を聞くや、蒋介石の顔色が見る見る変わった。

 ふるえ声で??「松井閣下には、申し訳なきことを致しました・・・・・」と私の手を堅く握りしめて、むせぶように言われ、眼を赤くして涙ぐまれた。

 私は驚いた。
 一同も蒋総統のこの異様な態度に驚いた。

 周知の通り南京戦の直後、蒋は漢口にいてしきりに対日抗戦の声明文を発表したが、〈虐殺事件〉など一言も触れていない。
 何応欽軍司令官の『軍事報告書』の中にも一行もない。
 それを東京裁判は、松井大将の責任で20万余を虐殺したと判決して、絞首刑に処したのである。

 あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉したばかりか、留学生当時から自分(蒋)を庇護し、面倒を見て下さった松井閣下に対して何らむくいることも出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死せしめた。
 悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる。

興亜観音第10号
Nay’s Diary - 蒋介石と何応欽
http://d.hatena.ne.jp/nay/20051023

-- 後略 --


ま、事実というものはこういうものでしょう。

なかったことをあったと言いはることは簡単ですが、その証拠などあるはずもなし。あるとすればそれは曲解・捏造の類でしかありません。

あったことはどんなに無視しようが葬ろうが、事実はそこかしこに存在するので、到底隠し通せるわけもありません。

そういうことです。

南京には大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録しているはずです。私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない。・・・・松井閣下は冤罪で処刑されたのです・・・・

時の総統=国家最高権力者がここまで言うのです。まぁ、当時の支那大陸に統一された政府などありませんでしたけどね。

特亜の方々は「歴史事実を歪曲するな、修正するな」とよく言いますが、上記が歴史的事実でしょう。南京大虐殺などなかったのです。当時も蒋介石の国民党・中華民国政府が様々な会見や発表において、南京大虐殺を訴えたという事実もありません。あるのは、国民党政府が金を出して工作した、中華民国以外の国の報道や文書その他です。

事実は事実。研究すれば自ずとその事実が明らかになるのです。無視する・曲解するなどしなければね。そういう意味では、戦後の日本の学会は無視し続けていたと言うべきでしょう。私がよく「赤デミー」と書いているのもそこです。敗戦利得者という言葉もあるくらいですから、敗戦によって地位や名誉?や金を手に入れた(特にサヨクの)輩は、その立場が永続的に続くように、日本を敗戦状態のままにしておきたいのです。

で、願わくば自分たちの理想とする共産主義国家=支那やロシアに日本を占領してもらい、自分たちはその占領された日本自治区?において特権的な立場で引き続き日本を支配していくことを夢見ているのでしょう。

そんな輩は真っ先に粛清されるとも知らずにね。

内モンゴルが中国の手に落ちた時、最初に粛清されたのは親中派の人達だった|保守速報

内モンゴルが中国の手に落ちた時、最初に粛清されたのは親中派の人達だった|保守速報

-- 前略 --

中山なりあき ✔ @nakayamanariaki

安倍総理がモンゴルを訪問している。私も三年前冬のウランバートルに行った。盆地のせいもあり空気が澱んで息苦しかった。郊外で見た夜空は圧巻だった。父が行く筈だったノモンハンは遥か遠かった。内モンゴルが中国の手に落ちた時、最初に粛清されたのは親中派の人達だったという話が印象的だった。

ronchan @ronchantw
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内通者が一番信用されないわけですね。ルーピーみたいな RT @nakayamanariaki 内モンゴルが中国の手に落ちた時、最初に粛清されたのは親中派の人達だったという話が印象的だった。
2013年3月30日 23:01

-- 後略 --


まぁそらそうだわな。
祖国を守るのが普通なのに、その祖国を売るなんていう人間が他人から信用される訳がありません。
 


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