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2013/01/13

体罰にかぎらず、なんでも限度というものがあるというだけだと思います

まるっきり体罰なしで指導できれば、その指導でいい方向にいけるのならそれに越したことはないと思いますけど…。それとやっぱりその根底にどういう想いがあるか、ここが一番重要でしょう
「私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました」 元巨人・桑田の体罰否定論に多数の共感コメント : J-CASTニュース

「私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました」 元巨人・桑田の体罰否定論に多数の共感コメント : J-CASTニュース

2013/1/12 17:23

大阪市立桜宮高2年のバスケットボール部主将の男子生徒が顧問教諭(47)から体罰を受けて自殺した問題で、元プロ野球選手の桑田真澄さん(44)がNHKや朝日新聞などのインタビューで語った「体罰否定論」に多くの共感が寄せられている。

「小中学校時代は練習で毎日殴られていた」と話す桑田さんは、その経験を踏まえて「体罰に愛情を感じたことはない」「体罰は安易な指導方法」と訴える。ネットには「非常に論理的な体罰批判」「一流選手の言葉は重みがある」などのコメントが相次いでいる。

-- 後略 --


ある種、教育にもつながる部分ですよね。

言って聞くような者ばかりなら、そしてそれで向上できるような者ばかりなら、指導者側もなにも体罰などふるいたくはないでしょう。そうではない者が多いからそういう指導になる、そういう面は大きいのでは?

家庭の躾でも小さな子供には言ってもわからないから、とにかく悪いことをしたら叩いてでも教え込む。そこからしつけや教育というものは始まるのだと思います。

体罰に愛情を感じたことはない

そうなんでしょうけど、それは体罰を行う側に愛情がないからではないか?青い考えかもしれませんけど、やはり愛が無ければ何も伝わらないと思います。

愛とは厳しいものでしょう。優しさとは厳しいものです。容赦の無い指導が優しさでしょう。厳しさの裏に愛情があってこその体罰でなければ、暴力に対する恨みしか残らないのでしょうね。
 


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