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2011/03/31

60mの高台となると、かなりの山を切り崩さないと宅地が確保できないですね

というか、先人の教えを忘れてしまったあるいは知らなかったために津波の被害に?
此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。

 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」

 本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)

 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

 地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

(2011年3月30日07時22分 読売新聞)


少なくとも住んでいけない土地というのがあることに今更ながらに津波の恐ろしさを実感しますね。松島の裏の地域は松島で守られて被害が少なかったということも報道で出ていましたが、最悪のところと比較して少ないということを言っているのだとすれば、それはあまり意味のないことですよね。

山を崩すばかりじゃなくて、高層マンションを建てて5階以下は住居にしないということでもいいかもしれませんが、じゃぁ5階までなにに使うのかに困りますよね。家を失った人たちの家の再建について、場所をどうするかっていうのが大きな問題ですね。普通の地震ならもとの場所に建てればいいのでしょうけど、今回は全く違いますからね…。もとの場所が水没している人もいるでしょうし。

仕事も、その仕事で使っていた場所(農地とか…)が水没しているケースも多いでしょう。これもどうするのか…。土地さえあればすぐ農業を再開できるというものでもありませんしね…。

頑張ってください、応援しています!というのは易しですが、こういうことを考えればとても軽々しく頑張って、などと声をかけられませんね。
 


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