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サンデー時評:『朝日』に載った改憲反対の意見広告- 毎日jp(毎日新聞)
2012年05月16日
四月末、あるテレビ局の企画で〈日本の情報組織のあり方〉について議論した時、私は、対外情報の権威であり、公安調査庁の幹部だった菅沼光弘さんに問うてみた。
「日本には肝心な情報はないと言われてきた。これでは独立国として一人前の外交も、国土の防衛もできない。戦後、日本はなぜ貧弱な情報小国に甘んじてきたのか」
と。菅沼さんの答えは、
「ああ、それは憲法のせいでしょうね」
と簡潔だった。現行憲法の平和主義は、憲法さえあればいつまでも平和でいられるという幻想を生んでしまった。戦争を放棄して戦力不保持をうたい、〈平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して〉(憲法前文)いるのだから、他国が侵略してくるはずがない。従って、他国の秘密を探るような情報活動なんか必要としない、となってしまう。
菅沼さんの答えは、そういう意味なのだろう。中国と北朝鮮の軍事脅威がしきりに言われるが、両国の情報を日本がどの程度深くつかんでいるか、まことに覚束ない。〈憲法のおかげ〉を口実に日々呑気に暮らしていていいはずがないのである。
今年の憲法記念日も過ぎてしまったが、改憲問題は議論があっても、もうひとつ熱を帯びてこないもどかしさがつきまとっている。衆参両院の憲法審査会が二〇〇七年の設置以来休眠状態にあったのが、昨年十一月初めて審査を開始したのは変化に違いない。各党の改正案もボツボツ出ている。超党派の新憲法制定議員同盟も活動しているが、はずみがつかないのはなぜだろうか。
記念日を通過し、大型連休が明けると、もう憲法のことなど忘れたように、政治は消費税だ、原発再稼働だ、小沢問題だ、解散だ、と目先のことだけに明け暮れている。基本的なことはいつも議論の入り口だけですまし、後回しにされるのだ。
はずまない理由の一つは、改憲反対・護憲の世論が衰えていないことにあると思われる。政治家はそれが気になり、選挙が近づくと避けて通ろうとする。毎度のことながら、いまの政治家は骨がなく、保身的だ。
ところで、私が住む静岡県下では今年も五月二日付と三日付の二回、『朝日新聞』に改憲反対の意見広告(いずれも一面全部を使っているから、三日付の全国版なら広告代金は一千万円前後になるのではないか)が載った。掲載紙に『朝日』を選んだのは、同紙が護憲に好意的だからだろう。気になるのは意見の中身である。
◇防戦すら認めないのか あいまいな戦争の規定
まず静岡版で掲載された二日付から見ると、広告主は意見広告実行委員会とされており、県下七十一の〈九条の会〉の名前がずらり並んでいる。〈奥浜名湖九条の会〉とか〈伊豆市女性九条の会〉とかである。
〈武力で平和はつくれない〉
の大見出しがあって、全面に極小の活字で個人名が印刷されている。募金に応じた五、六千人とみられるが、とても数えられない。改憲反対の理由は、
〈震災、原発問題のかげで、憲法や平和をめぐって重大な事態が進んでいます。自民党は災害対策に名を借りた非常事態条項の導入や九条二項の削除、集団的自衛権を盛り込んだ憲法改定案を作成しました。いくつもの政党・政治団体が同様の主張を行っています。憲法を変えて戦争をする国にしてはいけない。戦争につながる改憲に反対します〉
ということだ。
この論理が理解できない。自民党案は戦争放棄をうたった九条一項は残し、戦力不保持の二項を改めて、自衛隊を〈国防軍〉、つまり正式の戦力、軍隊として認知するとしている。あいまいな性格のままでは、国を守る武装集団として機能しにくいという考えだ。当然である。
ところが、〈九条の会〉は逆にそれが戦争につながるというのだが、よくわからない。戦争を仕掛けることはしないが、侵略されかけた時、防戦のため戦火を交えることは当然ある。自衛戦争である。それも戦争として否定するのか、肯定するのか、戦争の規定が不明だ。それとも無抵抗主義というのなら、平和と国民の生命を軽んじる思想で、論外だ。
次に三日付のほうは、市民意見広告運動が広告主で、賛同金を拠出した人が五千二百八十六人だという。
〈いのち 殺すな・殺されるな〉
が大見出し。全面さまざまな字体の〈命〉の文字で埋められている。こちらは同じ改憲反対でも情緒的な二日付と違って、主張が明快だ。
(1)日米安保条約を終了させ、米国・東アジア諸国との新しい安全保障の仕組みをつくる。
(2)自衛隊を段階的に縮小・解体し軍事予算を廃止する。新しく災害救助隊をつくる。
仮に攻められても、抵抗手段を持たなくていいということだから、明快だが、かつて旧社会党が唱えた非武装中立論である。非現実的で、国民の安全は到底保障できない。見出しのうち、〈殺すな〉はだれも異存ないが、〈殺されるな〉は自衛隊解体によって、その恐れが増すことになる。それでも構わないということなのか。
二回の意見広告の賛同者は合わせて一万人ほどで、それだけでは微々たる数とも言えるが、共鳴者はかなりにのぼるとみていい。私も学生時代は反安保で非武装中立論だった。当時を振り返ってみると、次のようなことを論拠にしていたと思う。
軍隊を持ってしまうと、専守防衛のためと言いながら、米国が主導する戦争に巻き込まれ、それが侵略的な性格を帯びることもある。朝鮮戦争、ベトナム戦争なども、日本は後方支援を担当し、一歩間違えば直接参加の恐れもあったのだ。だから平和維持は外交努力専一でやるべきだ、と。確かに巻き込まれる恐れはいまもないわけではない。
しかし、外交は防衛力の裏打ちがなければ貧相なものになることを戦後のさまざまな経験から知ることになった。そろそろ平和ボケのぬるま湯から出る時だ。
<今週のひと言>
一人いるなあ、厄介な人が。
(サンデー毎日2012年5月27日号)
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